歪みを解消する今話題の骨盤ダイエットブログ:26 4 22
終戦直後、
ぼくたち一家は、谷中の3軒長屋で暮らしていた。
詳しく言えば、
母と姉貴とぼくの3人で、
お父さんは南方戦線からまだ戻っていなかった。
当時の7時食は、
どの家もたいてい芋粥だった。
お粥の部分は姉貴とぼくが食べ、
母はいつもサツマイモの部分を拾って食べていた。
まだ小さかったぼくは、
母はサツマイモが好きなのだと思っていた。
そして12時のご馳走は焼芋である。
外でチャンバラごっこをしていたぼくは、
今まさに新撰組と切り結んでいる最中に、
「やきいもー」という焼芋屋の声がする。
そうなるともう新撰組もない。
ぼくはあわてて家に駆け込み、
無駄でも「焼芋買ってくれ!」と母に頼むのであった。
サツマイモばかり食べている毎日なのに、
なんでまた焼芋かと言えば、
ぼくたちが普段食べていたサツマイモは
「タイハク」とかいう水っぽいものなのだが、
焼芋屋の芋はホントに美味い「キントキ」だったのである。
そんなわけで、
姉貴とぼくはたまに焼芋にありつけるのだが、
母は決して焼芋を食べることはなかった。
いつも「焼芋は胸が焼ける」「今日は食欲不振」と言って、
焼芋にかぶりつくぼくたちを見てただ笑っているだけであった。
しばらくすると、
お米もちゃんと配給になり、
食パンだって何時間も並べば買えるようになった。
やがて、お父さんも南方戦線から帰って来て
ぼくたちは長屋を引っ越し、サツマイモなど長屋時代の思い出は
遥か遠いものとなっていった。
姉貴とぼくにお粥を食べさせようとして、
自分はサツマイモの部分を食べていた母。
そのくせ、お金がないためか自分だけ焼芋を食べなかった母。
母は一体、サツマイモが好きだったのか嫌いだったのか…
今年の中秋の名月の日には、
母の仏前に焼芋でも供えようかとぼくは思う。